投稿

目次

  目次   まえがき   Proemium 第一章 智者の任務は何であるかについて。 第二章 著者は何をめざすかについて。 第三章 神について公言することの中には、真理の二様式があるということ。 第四章 自然的理性によって認識された神的なものは、人間に信じられるべきように都合よく、呈示されていること。 第五章 理性をもって探究することの出来ないものは、信仰をもって把捉されるよう、都合よく呈示されているということ。 第六章     信仰に属することは、それが理性を超越するとしても、それについて賛同するということは軽卒なことではない。 第七章     キリスト教的信仰の真理に対して、理性の真理が反対するものではないということ。 第八章      人間理性は信仰の第一真理に対し、如何なる関係に立つか。 第九章      この著述おける進行の順序と方式。 Deum   esse 第十章     「神あり」ということは論証することはできない、故なら、それは自ら覚知されるものであるから、と言う見解について。 第十一章               前掲の見解に対する反駁と、前掲の論拠の解消。 第十二章               「神あり」ということはただ、信仰によってのみ確保されるのであって、論証することは出来ない、という見解について。 第十三章                「神あり」を検証するための諸根拠。 第十四章           ...

まえがき

  まえがき   翻訳の底本として使用したのはレオニナ版である。レオニナ版を基礎としながら、テキスト批判資料 (apparatus criticus) をふくむマリエッティ版を参考にした( S. Thomae Aquinatis doctoris angelici Liber de Veritate Catholicae Fidei contra errores Infidelium seu “Summa contra Gentiles”, Vol. II, C. Pera, P. Marc, P. Carmello ed., Marietti, Taurini/Romae, 1961 )。 聖書からの引用については必要に応じて Editio Vulgata( ヴルガータ ) 、特に 13 世紀に使われていた聖書に近いとされる Vulgata Clementina との異同を確認した。訳出にあたっては新共同訳(日本聖書協会、 1987 年)とフランシスコ会聖書研究所訳によることが多く、それ以外の訳を参照した場合にはそのことを記した。アリストテレス、およびアウグスティヌスをはじめとする教父、聖書注釈、教令集などからの引用、参照に関しては一般的な原則に従った。 本書のタイトルにある「異教徒」に関しては、諸説はあるが、おそらくプラトン、アリストテレス、およびアラブ系の哲学者、つまりキリスト教以前またはキリスト教以外の思想家を指していると思われる( Gauthier, R.-A., Saint Thomas d’Aquin, Somme contre les Gentils Introduction, Editions Universitaires, 1993 参照)。本書にはもう一つの伝統的な呼び名、“ Summa Philosophiae”( 哲学大全 ) がある。これは、「神学大全」と区別する意味もだろうし、聖書と異なる思想を相手としているからでもある。この点では、本書は歴史的意義を超えて、現代的な意義をも持ち続けていると訳者は思っている。 トマスが現代日本に住んでいたら、誰を相手にしてどのような哲学を展開させるだろうか。翻訳にあたって、まさにそういう地平線にたった考えからである。 米国の MIT (マサチューセッツ工科大...